ぼくのおしごと。

12月前半は怒涛の残業、そして後半は怒涛の早番&遅番変則勤務でクソ忙しい師走を送っていました。
29日深夜に、やっと仕事納めが出来ました。


てなわけで、今日は今まであんまり書いたことが無かった、俺の仕事について書いてみようかと。
まずは、社会人になってからの仕事から。


大学卒業後、バンドを続けてやっていた俺はどこかの企業に就職する事無く、フリーターの道を選んだ。
まずはツタヤでの接客業だった。これは3〜4年くらいやってたんだっけかな?
遅番のアルバイトだったのが、いつの間にやら早番遅番入り乱れの契約社員になってた。


そして、バンドが解散し、「もうちょい稼ぎが欲しい&オフィスワークがやってみたい」と思うようになったが、それまで接客業のバイトしかした事が無かったので、何をしたら良いかわからなかった。
そんなわけで、就職コンサルタントや派遣会社に登録しまくり、自分にどんな仕事が合うのか相談しつつ、就活を開始。
そんなこんなで、紹介されて就いたのがヘルプデスクの派遣の仕事だった。
やってみて、正直俺には向かねーなって思ったw
対面での接客に慣れすぎたのか、電話での対応がちょっと苦痛だった。
だがしかし、ツタヤよりは給料が良い。
そん感じで、ジワジワと職種と職場を変えつつ、少しずつ給料もステップアップ。
エンドユーザーヘルプ→社内PCヘルプ&セットアップ→社内PC管理&ヘルプ…ってゆー感じ。
所詮は派遣だけど、勤務した社名だけ見たら、キヤノン、ヤフー、NTT-MEと超有名どころで、給料も良かったw


そして、流石にもうガラっと職種を変えたくなり、こちらも有名企業の印刷会社の、『図書印刷』の営業アシスタントの仕事にまた派遣で就いた。
簡単に言うと、営業さんと印刷工場と編集さんの間に立って、仕事の進捗管理とかする仕事。
モノの管理とか整理が好きな俺は、この仕事は結構自分に合ってるな〜って思って、終電ギリギリで帰宅とかになっても大した苦でもなく仕事をやってたんだけど、一世を風靡してた『派遣切り』に合い、約3年ほどで退職となった。


流石に、正社員ではなく派遣でやってた事が悔やまれたね。
もちろん、仕事を変える時に正社員での仕事も探してたんだけど、なかなか良い仕事が無かったのと、結構自由が利く派遣に甘んじてたのはあったな。
まぁ、仕事を選ばなきゃもっと正社員の仕事もあったんだろうけど。


ハタから見たら、世の中舐めきった感じで仕事してるように見られガチだけど、それなりに真面目に仕事はしてたし、ボーナスや社会的地位は得られない分、ずーっと同じ会社で働くよりは色んな会社の側面が見えたり、色んな社員が見えたりと、社会人的経験値は一般よりは別の視点でそこそこに得られたと俺は思ってたりもするので、ガッツリ後悔まではしていないけど。
東京一人暮らしでやっていけて、ちょいちょい貯金も出来てたしねw
普通に正社員勤務してた友達は、正社員と大して変わらない月の稼ぎと休みも取り易い自由度を羨ましがってたけど、俺は俺でボーナスと着々と昇進して行ってる方が羨ましかったりもしたけどねw


で、そんな印刷会社から退職になった後、しばらく東京で無職のまま就活をするも、なかなか仕事が決まらず困り果てた上で、とうとう地元Uターンを決意。
そして、色々と仕事を探していると色んな縁があり、今の会社に正社員就職。
この会社が、過去の日記にもちょくちょく出てきているオッサンバンド『アラカンズ』のギタリストが常務として勤める、鍛造工場の会社。
俺と常務は、俺がまだ東京に居るころから親父の同期生でギタリストという面識があり、地元に帰った時に一緒にギター弾いたりしてたのだ。
そんで俺が地元に帰ってきて仕事を探していると言うのを聞いてくれた常務が、たまたま人員補充しようかと思っていた会社に入社しないかと誘ってくれたのだった。
工場勤務なんてした事が無かったけど、仕事が無くて困っていた俺は少し悩んだけど(苦笑)「お願いします。」と返事をした。
それが2010年の9月でした。


んで、この鍛造工場での仕事の事について。
鍛造工場ってのは、簡単に言うとでーっかいハンマーでアツアツに熱した鉄を金型で打って、鉄の製品を作る工場ね。
俺はそこの、検査の仕事に配属された。
と言うのも、本当はとある計画の為に俺は雇われたのだった。
その計画ってのが、この鍛造工場で、加工の仕事も始めようというもの。
その計画の人員に白羽の矢が立ったのが俺だった。
鍛造工場なので、加工機械を弄れる人なんて誰もいないし、だったら何の工場経験も無いまっさらな状態の俺に勉強させた方が覚えやすいんじゃないかという考えだったそうだw
あ、あと、軽音部のバンド要員の為にと言う理由もあるかもwww
とりあえず、そんな理由で雇われたのだけど、その計画は俺が入った時点ではまだ計画段階で表面化していなかった。
なので、まずは検査の仕事に配属されたわけ。


そんなこんなで、「1ヵ月後に計画をスタートする。」と言われ続け、なんだかんだで半年が経過w
半年も経ったもんだから、検査の仕事もそこそこに覚えてきて、もうすぐ検査から外れてしまう事をなんだか申し訳なく思いながら仕事してたw
んで、計画がスタートしたら、グループ会社の金属加工会社がある、滋賀県へ約3ヶ月の長期研修出張。
コレが2011年の4月から始まった。
その3ヶ月間に3回位は新潟と滋賀を行ったり来たりしたもんだから、長距離運転に慣れまくったw
初めて行った時には『距離クソ長ぇwww』と思ったのに、全ての研修が終わった頃にはもう普通だったw


で、その加工の仕事は、船用のチェーン部品を加工してるんです。
チャリンコとかバイクのチェーンあるでしょ?あれの船用ね。
チェーンの丸がくっついて2つ繋がってるような部品が、いくつも繋がってチェーンになってるじゃん?
アレの1個がね、船用なのでバカデカイの。
ちょっと大きいパーティー用のアホメガネみたなヤツあるじゃん?あの位のサイズを想像してもらえると良いかも。
それに2つ穴開けて、その加工面をさらに綺麗に加工すんの。
しかもその寸法がさ、誤差0.05ミリ以内とか言うわけ。
元々理系でもない俺が、さらに難しい理工系な感じの仕事をしてるわけですよw
もうね、そりゃ最初は全然上手くいかなくてさ。
滋賀での研修で、基本的な事や加工マシンの使い方を教わったとはいえ、その加工条件が、なかなか良い条件が見つからなくて。
穴開けの径がこの寸法だから、ドリルはこの回転スピードでかつ、この移動スピードで、刃物はこの材質を使って…みたいなw
しかも、会社の上の方々からは、「この注文数をこなすには1日に○個加工して生産出来るようにならなきゃダメだ。」とか言うわけ。
俺は今の状態じゃ、そんなに数こなせねーよwww死ぬよwwwとか思うわけw
もう、当時は鬱になる数歩手前だったかもしれんwww
まぁ、それでもやらなきゃしゃーないので、研修時に色々教えてくれた師匠に電話したり、カタログ見て勉強したりしましたよ。
そして、他にも工具屋さんとか色んな人の協力があって、なんとか加工条件もなんとなく落ち着いてきて、1日の目標生産数をギリギリでこなせるようになってきたのが、2011年の冬前位だった。


しかし、それでも注文には追いつかないので、早番&遅番の2直勤務体制になり、加工経験者の48歳のオッサンが12月から入社。
そして、このオッサンがクセモノだったwその話はまた後でw
それからさらに、加工条件を見直したりして「一日の生産目標数とかもうヨユーだしwww」と思えるほどになって、それまで加工は生産的には赤字だったけど、黒字に持ち直したのが今年の夏前頃だった。


そうなると今度は、逆に注文数が激減。
7月から2直勤務が必要無くなり、1直勤務になってしまった。
すると、必然的に加工業務しか出来ないオッサンが加工をやり、俺は検査の仕事に戻る事になったw
滋賀に研修に行ったり、加工条件勉強して悩みながら生産数持ち上げた日々は何だったんだwwwと思いつつも検査の仕事に就く。
まぁ、実際俺の配属の肩書きは『検査係兼、加工係』だし、検査は検査で人手が足りなかったので、文句も言えませんが。(苦笑)


そんなこんなで、12月半ばまで検査の仕事をしていましたが、会社の生産管理側が注文数を間違えていた事が発覚し、急遽、加工業務に戻る事に。
検査の仕事も忙しかったのに、大丈夫か?と思いつつ加工業務へ。
2直体制になるので、冒頭に書いたように早番と遅番交代の勤務でやってきた。
しかも、加工経験者でクセモノのオッサンが今年いっぱいで退職決定。
来年からは、俺が完全に加工係に復帰する事になりましたとさw
んで、1月は注文数も多いので、毎日2時間残業&休日出勤2回が確定してたりしてますwww
…とゆー感じの仕事を俺はやってたりするわけですw


んで、最後に愚痴になるけど、クセモノの48歳加工経験者のオッサンの事。
このオッサン、マヂでありえねーんすよ。
ホントに「お前、何年社会人やってんだよ?」って言いたくなる感じ。
まず、入社してすぐの事。
いきなり、「前の仕事では〜、月の手取りが片手は貰えてたから〜、ここに入ったら数十万ダウンだよ〜。」と、給料自慢。
この時点で、「あ、コイツはヤバイ。」と思った。
でも、加工の仕事に関しては流石に経験者で、手際なんかもテキパキとしてて俺よりも全然効率よく作業を進める。
加工機械の知識もちゃんとあり、その2点はマヂで手本にしなきゃと思った。
…が、その2点だけだった。(苦笑)


オッサンは、加工作業に付随するその他の作業でミスしまくり。
例えば、生産数の記録をつけるだとか、在庫の管理だとか、作業終了後にやるべき事をやり忘れるだとか。
最初は、誰もがやりうるミスだと思って大目に見ていたが、1日に1個は何か必ずミスってる位の勢いで連発するもんだから、俺もそれを何度も指摘し、細かく言うようになるわけですよ。
するとそのオッサンは、「そんなに細かい事イチイチ言わなくてもさ〜、君だってたまにやり忘れてる事あるよ〜?俺はそんな細かい事をイチイチ言わないタイプだけどね!」と、逆切れ。
この時点で、「あ〜、もうコイツダメだwww」と思った。
じゃあお前はそんな小さい仕事も出来ねーのか?って感じじゃない?(苦笑)


さらに、口だけは達者で、自分は理解している、出来ると思い込んでる事例もあり。
最初に俺が加工関連の仕事や、業務記録など教える。
しかし、オッサンは大してメモを取らない。
俺はわかったか?と確認するとわかったと答える。
しばらくそれをやらせてみて、出来てるか俺が確認する。
案の定、出来ていない。
または、俺が出来る?と聞くと出来ると答えるので、目の前でやらせてみると出来ない。
あと、パソコンでの業務記録のエクセルへの入力があるのだけど、オッサンは入社時パソコンが全然弄れなかった。
エクセルファイルは俺が作っていたので、数字を入力させる程度の事はなんとか覚えてもらったが、稀に表などの項目をコピペさせなければいけない事もあったので、多少はエクセルを勉強してもらう事を指示。
本人も「あ〜、これは勉強しなきゃだね〜。家に一応パソコンあるから、勉強しとくわ〜。」と、入社時に言っていたが、その後エクセルの知識に関する成長は、入力以外退社するまで皆無でした。(苦笑)


そして、最初に書いた『自慢』は俺だけに止まらず、その他の社員にまでやっていた様子。
前は月収が良かったから始まり、車自慢や腕時計自慢をし、さらには自分の通帳を見せ付けるなど。
で、最後に俺が細かくてうるさいと文句を言うのだそうだ。
これが他の社員たちにもウザがられ、同じ加工係という事で「アイツ、どうにかしろよw」と俺のところに周って来るので、俺の文句を言っている事も全部筒抜けw


さらに、空気読めないオッサンの極めつけで、朝礼での場違い発言。
検査の人で、いつも汗臭い人がいるんだけど(苦笑)、その人に対して「あなた、臭いですよ!みんな言ってますよ!」と、朝礼のみんながいる前で言い放ちやがったw
そんな事は朝礼で言うべき事じゃないし、そんなに言いたきゃ個人的に言ってやれよと、他の検査の人達から非難ゴーゴーw
これで完璧にみんなから「アイツはオカシイヤツだ。」という認識が決定付けられた。
逆に俺が「あなた、ウザイですよ!みんな言ってますよ!」と言ってやろうかと思ったけど、メンドクサイしむしろオッサンに関わりたくないので止めたw


で、このオッサンが今年いっぱいで辞めるって言うのも、給料やボーナスが低いので交渉しに言ったら無理だと言われて、辞める事にしたらしい。
このオッサンがいくら貰ってるか知らないし興味も無いけど、元々契約社員で正社員ではなく給料も低いし、数々の悪い話は既に上にも伝わってて、査定も低いと思うんですよね。
なので、ただの勘違い野郎だなってのが、みんなの思うところ。
世の中、上には上がいると思う事は多々あるけど、下にも下がいるんだなって、ちょっと思ったよ。(苦笑)
あーゆー人間にはなりたくねぇなと思った意味では、良い勉強になりましたw


俺、ホント人の事を悪く言ったりするの大嫌いなんだけど、コイツだけは言うわ。
今まで見た社会人の中で、史上最低の人間だったな。
おい!お前だよ!刈羽在住48歳ナリタマサト!
マヂでこの世から消えてくれwww


あー、スッキリしたwwww
はい、超長文でスンマセンでしたw